絶賛モラトリアム人間

これからの人生どうしようかなって

人の肩に頭をあずけること

こんばんは

 

僕はいま、バイト終わりの0:38新宿発の相模大野行きに乗っている。新宿を出発する最後の急行であり、僕が家に1:30までに着きたいならば乗ることが必須な電車である。

 

乗る車両も決まっていて座る位置もほぼほぼ固定である。もはや僕の指定席と言っても過言でない。

 

色々な人とこの日付超えた小田急線を共にしてきた。酒の飲みすぎで倒れた人、突然歌い出す人、たまたま見えたウォークマンの画面が僕のお気に入りの歌手だった人、たったまま寝る人……。とにかくこの3ヶ月だけでも様々な人を見てきた。

 

今宵は……今宵は。

 

隣の席に座るお姉さんである。お姉さんは寝ている。非常に気持ちよさそうで起きたらさぞ不機嫌だろうなというくらい。

 

寝ているのがバックを抱えてそれを枕代わりに……とかなら全然良いのだが、ガッツリ僕の肩を枕に使って頂いている。僕の肩には遠慮のない重力がかかり、降りる駅で「すいません……」と起こすのは躊躇われるほどである。

 

あと2駅、隣のお姉さんをどうするか迷いどころの僕だ。

 

 

近況を報告したいなと思っていたら8月が終わる

久しぶりだ。

 

実に久しぶりだと思う。

 

4年生になってからは良い更新ペースを保ってきたように感じていたが、ここ2ヶ月少しほどぷつりと途絶えてしまった。

 

確か前のブログはバイトを辞める云々について書いたと思うのだが、それが遥か昔のように感じるほどにはこの2ヶ月は濃いものであった。

 

と信じたい。

 

さて、私の夏休みを紹介したい。 

と言っても今年は本当に暦の都合が悪く、完全に夏休みに突入したのは8/7のことであった。広島原爆の日の放送を見てから学校へアルバイトに行くとは、前期が始まった時点では全く予想だにしなかった。 

 

実際のところ、帰省もまだしていないし、サークル合宿やゼミ合宿、卒論研究以外で遠出することはない。

家で学生最後の夏休みを有意義にダラダラと過ごしているのかと言うと、そういう訳でもない。ちなみに私は家でいつの間にか日が暮れていることに気づく瞬間が最高に嫌いで、好きだ。

じゃあ何してんだよおめぇという話になるのだが、馬車馬の如く働いている。世の中の馬車馬の如く働いている人の足元には到底及ばないとは思うのだが、多感な大学生のあまりにも貴重な夏休みを削って働くことは感心はできないと思うので、この表現に落ち着く。

 

前のバイト先をやめた後、すぐに私は友人のつてでチェーンの居酒屋で働き始めた。場所は大都会新宿。時給も良く、交通費もきっちり出してくれる。大体週4か5働いて、残りは卒論研究に回したりしている。5連勤した週はほとんど残り2日は動けない。体力がなくなったのか、単純に鞭打つことをしないだけなのかは分からないが、とにかくカーテンを閉めた暗い家でぼーっと呆けて時々コーヒーを飲んだり本を消化したりする。

 

そんなこんなで夏休みは既に折り返しを迎えた。非情だなとは思うが、特に後悔の念などはない。他人事のようだ。

 

その位でいいと思う。ほどほどで。

 

アルバイトをやめるやめる詐欺マンが実際に”やめる”ことになった

これは梅雨入り前に書いたものであるのでうまく解釈してほしい

 

梅雨前にやり残したことがあるかのような良いお天気で大変結構なのだが、汗だけはかきたくないものだったりする。私は(というか家系的に)生まれつきの汗かきで、しかも平熱が36℃後半あるものだから、せっせと体温を下げないとエンジンが熱暴走してしまう。今日も私は汗をいそいそと流しながら登山して講義に励んでいる。

しかし、いくら汗をかこうとも心は穏やかである。お盆下がりのキラキラと太陽光線を乱反射する噴火湾のように。荒れに荒れる冬の日本海とはわけが違うのだ。

というと、私は6月いっぱいで3年と少し勤めたバイト先をやめる。3年勤めておきながら、あと半年勤めれば晴れて社会人になるためという円満な辞め方だったかもしれないが、今まで溜め込んでいたものが今回一突きされることで決壊してしまった結果である。

しかしながら、やはり不思議と心は穏やかである。こんなことならもっと早くからバイトをやめればよかったなと後悔しているのが実のところである。4年間しかない大学生活を有意義に過ごす一つの要素を失ってしまった。

さて、そんなバイト先をやめるに至った経緯であるが、今冷静になれば常人であれば即やめるレベルであった。

・最低時給
・タイムカードが30分刻み
・休憩は30分
・00分から30分までのきっちり休憩ならよいのだが、15分から45分まで休憩を取ろうものなら1時間休憩をとったことになる
・給料未払いの横行(私はなかったが)
・給料未払いの状態でオーナーがレジから売上金を取り出してパチンコへ
・発注したのをオーナーに勝手に消され、他店舗から借りてくる羽目に
・オーナーの明らかな従業員を見下した言動(働かせてやっているのになぜ給料を払わなければならないのか……など)
・シフトを相談なしに勝手に削られる(私が辞めた一番の原因)


こんな状態ならもはや労基署かどこかに訴えればいいじゃないかと思うかもしれないが、実際問題オーナーとは顔も合わせたくないし、労基署から制裁を加えられて潰れるよりは私を筆頭にして従業員が辞めていって、店が回らなくなってオーナー一家が路頭に迷うほうが面白いじゃないかってあまりにもダークな私が囁くのである。
行き過ぎた表現になったかもしれないが、実情としてそれほどのことをしでかしているのであるから、それくらいは良い薬になるんじゃいかと正義を振りかざしている私である。

 

次のバイトは何にしようか、そんな呑気なことを考えながら残り少ない現バイトへと向かう私だ。

モラトリアムの終焉

モラトリアムには終焉が存在するのかもしれない

 

気になってしまった、いや前々からいつかはこの状態から脱却を図らなけらばならないとは思っていた。

 

そしてつい最近、図るだけでは脱却できないことに気付いた。これは私史上世紀の大発見だった。

 

馬鹿かと、アホかと、思われるかもしれないが、気づいた事実が最重要事案なのではない、気づくことに意味がある。結果はあとから、自ずと、ついてくるものだ。

 

そして今宵、寝る間際に思いを馳せる中でとても頭では整理しきれないことに気付いた。世の中気づくことばかりだ。だから面白い。

 

そうと決まれば即行動。PCを立ち上げ、コーヒーを入れて、ヘッドホンで好きな音楽を聞きながら自分と対話して指をタイプするだけ。

 

そもそも、だ。そもそも「モラトリアム」について私は何も知らない。とてもお笑い種なのだが、ブログタイトルに採用しておきながらよく意味は分かっていないんだ、これが。でも実際、名前の意味を知らないことなんてよくあることだからあまり気にしてはいない。

 

調べた

モラトリアム - Wikipedia

思ったより深かった。

 

例えるならば、池とか水たまりしか知らなかった頃に支笏湖に遊びにいって最深363mだと知った時くらいだ。我ながら良いたとえをした。

 

簡単に言うならば「先延ばし」の意味合いが強いのだろう。経済用語を発端とする中で、大人の仲間入りをしても十分な年頃に学生となって猶予を求める様を表す…と。

 

ここで一つ概念のぶち壊しを行わせていただきたい。止めてももう遅い。私は壊したくて仕方がない。ハンマーはすでに振り下ろされている。

 

大人って何よ

 

大人って何なんだ。お金が一丁前に稼げるようになったら大人なのか、はたまたどうしようもない問題に直面したら一人で乗り越えるようになったら大人なのか。

 

答えは数多あると思う。もう両手両足とかいう範疇じゃあないのだ。人それぞれ大人の解釈があってよいし、別に他人にとやかく言われる筋合いはない。

 

つまり

 

私なりの解釈をここから話す。最終的に屁理屈になるが気にしないでほしい。もう終着点は決まっているのでそこまで突っ走らせてほしい。若干眠いのもあるが。

 

残念ながら私が今まで会った人物で完璧な大人は誰一人としていなかった。私の人生経験が乏しいと言えばそれまでだが、大人ばかりの世の中ならもっと効率的な世の運営がなされているだろうし、子供がいるから世は愉快なのだ。

 

以上のことから、恐らくは私は一生大人になることはない。大人になりたいと焦がれることは勿論あるだろう。だがあがけどあがけど、伸ばした手が届くことは死ぬまで、いや死んでもないだろう。

 

こんな屁理屈を考え付くあたりまだまだ子供なのだ。大人なんてツマラナイ。そんな少しばかりの反骨精神を抱いているのが性に合う。

 

さあ明日も 明後日も、いつまでも、あまりにも雄大すぎるモラトリアムの海をオール一本で水平線の向こう目指していこう。

 

一生全力モラトリアム

人生経験として

「人生一回キリだからやれることはやっておこうかな」と大学生になってから思うようになった。

 

これ

 

なにか始めるにはすごく拡大解釈の効くワードで使い勝手が良い。かなりの割合で人を納得させることもできる。魔法の言葉だ。

 

色々やった気がする。ギャンブルもおおかたやったし(馬と船と自転車はない)、徹夜○○系統もやった。

 

今度何やろうか……とGWのあまりにも暇すぎる昼下がりに思案したところ、タトゥーという単語が浮かんできた。

 

少し憧れはあった。友人が手首にやってるのを見て。出来心的な反社会的精神をもって小さなタトゥーを拵えるのもアリかなと。

 

入れるとしたら小さなしし座にしようと思う。自分自身しし座だし、なんだかライオンさんってカッコイイのだ。でもやはり王道であろう名前を入れるほどの相方もまだいないし、“そっち”系の人ほど本気に入れる勇気もない。

 

所詮その程度なのだ。

 

広く浅く、人生経験として……薄い経験を積んでいく。でも私はそれで満足しているので構わないのだ。

 

そう……薄い人生の中で唯一続く人生経験、タバコを吸いながら少し早すぎる夏の太陽光を浴びた。

フレデリックの話をしよう

フレデリックの話をしよう。

 

フレデリック・ショパンでもなく、フレデリック・ダグラスでもない。4人組バンドのフレデリックのことだ。

 

私が高校時代から使うウォークマンには目下1000曲ほどが入っているだろうが、恐らくそのほとんどがフォルクローレだ。なーんだ、フレデリックじゃないのかと落胆するのも致し方ないと思う。フォルクローレはもはや私の血であり、骨であり、魂である。フォルクローレなしではもう生きられない……。その域に達している。であるから、好きとかそういう問題からは外れるし、その他のウォークマンに入っている私のお気に入りたちとは比べることは不可能かつ不毛なのだ。

 

さて、話を戻すが、私のお気に入りのアーティストを片手に収める範囲で列挙するならば、aikoポルノグラフィティ松任谷由実フレデリックあたりになるだろう。現代の若者っぽいかもしれないが、もちろんこの他にも竹内まりや福山雅治槇原敬之もABBAもマキシマムザホルモンもボカロもチェッカーズも聞く。

 

基本的にはフォルクローレと上記の4つをヘビロテするのだが、とりわけここ最近はフレデリックの割合が格段に高い。玄関を開けてウォークマンを起動してまずはフレデリックを聞く、そんな具合に。

 

フレデリックには所謂フレデリックらしさというものが存在する。代表曲であるオドループ、オンリーワンダー、リリリピートあたりを聞いていただければお分かりになると思う。

 

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オマケに

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お聞き頂いた方、リンクをポチってくれたことに感謝の意を示したい。

そしてどうだろうか、私の言わんとすることがどんなことか。

 

1つは恐らく彼らにしかない唯一無二のループサウンドと思う。と思うとしたのは何せ私は一介のファンでしかないし、別に音楽の知識に秀でてる訳では無いので、単にfavoriteな点を挙げてるに過ぎないからである。でもまあ聞き込んでることはこの上ないので、信用してもらって構わない。何様なのか。

 

2つはそのループサウンドが耳に“イイ感じ”で残るあたりか。決してしつこくなく、需要にフィットする感じ。安心感。思わず横揺れするビート感。

 

3つは恐らく今後何があろうともフレデリックのサウンドは変わることはないだろうという確信が持てる点。またいつか私を横揺れさせる至高の1曲をフレデリックは世に出してくれる。そんな信頼感。

 

私がフレデリックを知ったきっかけをお話していなかった。遡ること2年前である。

野球中継では試合が終了しヒーローインタビューを終えた後に本日のハイライトが流される。2016年シーズンのオリックス・バファローズ主催試合でのハイライトのBGMがフレデリックの「Future Ice Cream」だったのだ。

 

見つけた楽天戦のを貼っておく

 

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これを聞いた私は思った。

 

 

すこ

 

 

と。

実際いい曲だし、終盤の大逆転シーンなんかで最後の大サビが来ようものなら安っぽいMVより感動モノである。

 

そんなこんなで私はフレデリック中毒に見事になってしまった。おそらくこの中毒に治療法はない。治そうとも思わない。

まだ若いのに

私は今年の夏で晴れて22になる。色々と責任が伴う代わりに別に好きなことをしても構わないお年頃だ。公共の福祉が保てるならば、である。

 

そんなうら若きぴっちぴち(もうこの表現は厳しいかもしれない)私が唯一悩んでいること、そう白髪である。

 

画像でお見せしたいのだが、生憎自分の頭を電車内で撮影する変態にはなりたくないし、自分も頭頂部から私の白髪たちをそんなまじまじと見たことがないので、現状どうなっているか理解しきれていない。この前もお風呂上りに鏡を見たところ、ついに前髪にまで白髪が来ている(私の白髪軍は後頭部から開拓している)ことにショックを受けたので、頭頂部に車座になる白髪たちを目にしようものなら卒倒してしまうかもしれない。

 

若白髪がある少年少女に対して皆さんはどのような言葉をかけるのだろうか、恐らく大半の方が「苦労してるのね~」と言われると思う。私もそう言われたクチである。何をもってして「苦労」なのか、またそれも私の悩みの種の一つとなったのだが、とりあえずその場はやりすごすスキルを身につけられたのは意外や白髪のおかげなのかもしれない。

 

今思えば白髪が私の頭に陣取るようになったのはいつだったろうか、全然覚えていない。中学時代には気になって黒染めをしていたから、恐らく予備軍らしきものは小学校高学年からあったのかもしれない。にしてもだ。父でさえ40半ばから生え始めた白髪が、その子供には10代から生えるなんてあまりにも運命は残酷すぎやしないだろうか。白髪を初めて発見した思春期の子供が相当なショックを受けることなんて想像にたやすいのに、神様はなぜそんな悪事を働いてしまったのか、神に人の心はないのか????? 

 

ふぅ……

 

まあ仕方がないのだ、そんなことは百も承知。私が死ぬまであと60年?70年?あるから、それまで快適な白髪ライフを過ごさせてもらおうと思う。今では不釣り合いかもしれないが30後半になって老けてきたらシックな紳士淑女になるかもしれない。そんな期待を抱く。

 

まあ、就活が終わったら赤茶髪にしてピアスを開ける予定でいるので、頭皮にガンガンダメージを与えていきたい。