絶賛モラトリアム人間

これからの人生どうしようかなって

自分は決して口にしないけど好きな言い回し

お久しぶり

 

社会人生活2年目となって責任もそれなりに求められるようになり、給料は相変わらず低く、でもそれなりに充実した日々を送っているんではないかなと己の一年間を振り返るばかり

 

本日は休みだったけど、仕事場に行き、バイトの人たちとコミュニケーションをとり(僕は仕事の中でそうすることが一番重要だと思うタチだ)すこし事務仕事をこなし、帰ってきた。

 

帰りの車で谷山浩子の弱冠や独特な世界観あふれる曲を聴きながら、ふと思い出した。

 

それは確か2年前、卒業論文も大筋が固まっていざ調査の日程を決め、前準備として国立国会図書館に籠って資料集めをしだした頃。千代田線国会議事堂前駅からの道は毎回濡れていたから梅雨時だったのは確か。

 

いつものように月曜6限のゼミで教授と学友たちと無駄のような決して無駄ではない雑談をしていた時。教授がさきほどの僕の発表を聞いて少し気になる部分があったのだろう、あっそういえば……と前置きをしてこう続けた。

 

「私はあまり〇〇くんの調査している分野にはあまり明るくないのですが……」

 

少し話はずれるが、教授の言うところの素人質問ですがであったり、あまり詳しくはないんですがだったりは往々にして嘘八百である。

そんな学部生レベルの研究なんてその道何十年の教授からすれば赤子の手をひねるようなちゃっちいものだろうし、だからこそ学部生は教授と密接にコミュニケーションをとり、なんとかヒントを得ようとするべきなんだろうなあと持論を展開する。

 

今回話題にしたいの学部生の学問に対する姿勢を問いたいのではなく、私の敬愛する教授の「分野にあまり明るくない」という言い回しだ。

 

素直にかっこよくないか。意味としてはその物事に精通している、通じているなんて感じだろうが、使う場面の少なさたるや。

 

実際問題、小難しい横文字や熟語を列挙するのは簡単で、それだけで通な感じにみえるのは確か。しかしそういった人々だけの集まりであったり、余程のもの好きでない限り、そのコミュニケーションは求められておらず、むしろ嫌われる一因となりかねない。

 

本当に言葉に精通している人は言葉の使いどころを間違わない人だ。

 

例えば、小学生相手に先ほどの「先生は最近のYouTubeとかに明るくないんだけども……」と話し始めるのは中々にナンセンスであるのは間違いない。

ある程度勉学に励み、それなりに社会経験を積んでいる大学生だからこそ通じ、なおかつ少し教授という知的な立場を確立できるというものではなかろうか。

 

私の担当教授はよく言葉の遊び方を知っている人だったと思う。物静かな人で講義中の声はよく眠たくなったが、言葉の端々に遊び心があって、教授なりに聞いてくれる人には面白い内容にしてやろうという目論見があったのかもしれない。

 

そういった意味で大学は勉学に励みつつも、ボキャブラリーを広げる良い場所だったなとつくづく感じる。

私も高校時代までは話すこと自体が得意ではなかったが、大学で様々な人間に会い、経験を積み、言葉を知ったからこそ、今は口から出まかせなんて朝飯前である。

 

 

大学という一種の幽閉された世界だから学べる一種の教養を少し思い出した初夏の月食の夜