絶賛モラトリアム人間

これからの人生どうしようかなって

アッ

これは紛れもなく混じりっけのない真実であるし、何かうそぶいて事を大きくしようなんて、それこそ最終バスを乗り過ごす程度に意識の範囲外なのだが。

 

表題にもございます通り、思わず皿を落としてしまった時ばりの叫び声。

 

これにおけますはまさに私めが新社会人として歩み始めて4ヶ月たった正直な感想であることは紛うことなき事実であるのだな。

 

毎日のルーティンにまで化した仕事という名の金を得るための運動を行うのは、YouTubeの「〇と言ったら加速する〇〇」みたいな動画のように僕の人生を悪戯に加速させるばかりの悪がきっぷりを発揮してくれる。実に憎らしくして仕方がない。

 

人生100年時代とか誇張したメッセージがやたらと世の中を行脚しがちであるけども、僕は声高々にこれに異論を唱えていきたい。100歳まで生きられるわけねーじゃんかと。ムリムリ。今どきやれアンドロイドだ細胞移植やらが夢の技術として、はたまた身近なものとして紹介されているけど、僕の両親が小さい頃は2020年とかには車がチューブの中を走ったり、または空を飛んだりとかが語られていたって。それと同じことよ。実際その技術が我々下民の元まで還元されるのは、余裕を見て100年後とかなんじゃあないのかって。

 

まあそんな夢物語を語るほど、僕の人生に余裕はない。借金500万を抱えているし、23にして親が期待している孫の顔はとうに諦めた。自分のことで精一杯なんじゃ。僕は精神的に赤ん坊中の赤ん坊なので、めちゃくちゃ他人に甘えたいし、決定事項は誰か信頼のおける人に決めてもらって、それにいいね!とただグッドボタンを押す人になりたい。

 

ここに来て人生のチュートリアルが終了した感が出てきた。いや考えてみんさいな。小中高通って大学で上京して、首都圏の会社に就職して。あと無課金でできることある?結婚してマイホーム持ってみたいなのは重課金がやることやん?

 

あとは働いて老後は貯蓄切り崩して死んでくだけやん。なにかワクワクする事象とかとてもありそうにもない。

 

そうは言っても刹那主義なので、毎日が苦しくて今すぐにでも東尋坊まで車を飛ばしてダッシュして虚空に舞うほどのものではない。

家帰ってからの酒は美味いし、仕事も楽しい瞬間はもちろんある。こんな僕に付き合ってくれる友達と呑んだり、どこかにドライブに行くのは楽しいんだ。今が大事だからその瞬間を楽しむ力はあるもんで、それが余計に人生を苦しく一方的に諦めるベクトルと逆方向に力をかけるもんだから、すんなり死ねない。くそ。

 

高校の時から時々見る夢がある。その時々で相手は変わるけど、好いてる人と楽しくやったりちょっとイケナイことをしたり。男らしい夢だなとつくづく思う。しかしその夢には続きがあってほぼ毎回僕を何らかの形で殺めてくれる。なんて気持ち良い人生の幕切れであろうか。

 

自分が好意を寄せてる相手に人生終わらせる最後の一手を打ち込んでもらうことの幸せたるや。

 

まさにこれは僕の理想像を脳が理解し、それを夢の中で演出することで僕に少しの安寧を与えてくれているに違いない。つまり少しの安寧を与えることで、僕自身に活力を与え、少しでも長生きさせようとしてくる。本能がそうさせるのか。皮肉だね。

 

とにかく僕は今のところ、人生に飽きてきたというのが簡単なところだろうか。だからと言って、飽きさせないために新規開拓して、僕にピタリと合う趣味や娯楽を見つける時間はあまりにも惜しすぎる。その時間をそちらに割り振るならば、ベランダで1人タバコを吸ったり、コーヒー豆をぐるぐると挽いたり、あてもなくドライブしていたい。

 

新規たる斬新な命の燃やし方が見つからない限り、僕はこの陰鬱な気持ちをもちあわせたまま土に還っていくんだろう。

 

骨は実家のミズナラの下に撒いて欲しい。もし役所の許可やらなにやら面倒なら日本海に。礼文島の西側にメノウがやたらと拾える海岸がある。そこに。その海岸のそばにはアイヌ系の方がやっている旅館があるからわかりやすいと思う。

 

この文章の最後に書くことじゃないかもしれないが、鍛高譚のお湯割りは美味しい。

 

では。また次生きていて暇ができて文章を書く余裕があれば。