絶賛モラトリアム人間

これからの人生どうしようかなって

恋愛像語ろうとしたら自分が如何にヤバイやつか気づいた

こんばんは

 

遂に大学が今週から再開だという時期になってしまい、また私は夏休みというものの本質を捉えられずに、結局その手に掴み切ることのないまま、少し寂しい心持で、大学三回生の夏休みと別れを告げることになりました。

 

悔しいことに夏が嫌いな夏生まれである私は、反面夏の終わりに少しほっとしている部分もあって、あいも変わらず風見鶏のようにその場その場で感情があっちこっちしています。

 

 

夏といえば燃え盛るような恋愛に興じた、という血気盛んな読者の皆様もおられると思われますが、今回は私の恋愛像について語りたいと思います。かなり長文になることが予想されますし、文章構成なんかもっての外だと思われるので、少しここいらでお水でも飲んでくださいませ。

 

 

 

では

 

 

 

まず、私の大きなスタンスとして結婚についてはおおよそ考慮していません。結婚をすることが必ずしも幸せに繋がることとは考えていませんし、逆も然りです。しかし、私は帰る場所があってそこに私を待っていてくれる人がいるだけでも充足感を感じる人間なので、極論を言ってしまえば性別は問わない側面があります。同性愛者ではなく、異性愛者ですが「恋人」より「よき友人」や「伴侶」、「相方」を必要としている人間なのかもしれません(これに関してはもうかれこれ思春期からのテーマとして、毎日考えを巡らせています)。

 

ですので、甘酸っぱい恋愛像を期待されている方には少々薄味気味になることが間違いないでしょう。申し訳ないです。

 

そんな私でも「好き」になったことがないわけではないことだけは釘を刺しておかなければなりません。めんどくさいですね。その中でもお付き合いさせていただいたこともあるので、その時の体験から客観的にどんな恋愛像を持っている人間なのか書ければな……と思っています。

 

 

 

恋人となれば、毎日ラインでもなんでもいいですが連絡を取りたいと思われる方もいらっしゃると思います。恋仲なのですから、他人より連絡密度を高く保ちたいと思うのは当然のことと思いますし、それによってお互いのことを知りたいと思うのもまた当然でしょう。

私は基本的に毎日連絡を取ることはしないです。基本的にと書いたのは、求められればこちらからも毎日しますよということです。恋愛に対する意欲が足りないと突っ込まれてしまえば終わりなのですが、恋人生活以前に相手の生活がありますし、それを乱してまで連絡を取ろうとは思いません。しかし私はどれだけ乱れても構いません、できるだけ速攻で返します。

 

デートはこちらも一応コースは考えていきますが、相手が行きたい場所があればもちろんそちらに合わせます。ステキな場所で見る恋人の笑顔ほど美しいものはないでしょうし。

 

ここまで来てこの後同じような語句が羅列されることが自分自身で巡り巡った結果、想像できたので書きますね。

 

「相手が幸せであればどれだけ自分が犠牲になっても構わない

 

これに尽きると思います。

 

すごく楽な考えです、判断は相手に委ねられますから。

傍から見れば、ガツガツ行っているわけではないので決して恋愛に積極的な人としては映ることはまずもってないでしょう。

この性格に生まれてしまった以上、この恋愛観を変えることはほぼ不可能に近いんじゃないかと考えてしまいます。

恋愛という性欲とほぼマッチしている人間活動において、そんな自己犠牲の上に成立することがあるのかと思いますが、ここに実例がいました。

ある意味で相手を騙しているに近い行為なのかもしれません。恋人関係というのはお互いが満たされて初めて成り立つ関係であると思うので。

 

 

 

でもいいんです、相手が幸せなら私も幸せですから。